新人の先生が採用された際に、「既に学生がある程度日本語ができるようになっているので、中級のほうが説明しやすいだろう」という理由で中級クラスを担当することになったとします。この場合、学生が知りたいのは、例えば文法であれば、
今習っている中級の文法は、すでに学習した初級の文法とどう意味が違うのが、どうやって文法を使い分けるのか。
ということです。ところが新人の先生は初級を経験していませんから、学生が知りたいことに対して、うまく説明できないという事態に直面します。教師は確かに日本語で説明はできるのですが、学生が求めていることに対して説明しているわけではないので、結局は説明したとは言えないでしょう。
中級まで来ると、1つの課の読み物(読解文)もある程度の長さになっています。この読解をどう読むのかということも、新人の先生には難しいことです。なぜかというと、この読解文は、文章の1つ1つが初級の初めから積み重ねられてきた文法で構成されているからです。時間をかけてやろうと思えば、1つ1つの文を分析しながら復習することもできます。
経験のある教師が読解文を見れば、どことどこが文法的なポイントかをすぐに指摘することができます。文法的なポイントというのは、テキストで重要文法としてとりあげられて解説がなされ、それを使って練習をするような文法です。また、読解文を見れば、文章全体の中で学生がよく間違いやすいところや、既習項目だが大事で復習すべきところ、既習項目で復習も不要な容易なところなどを見分けて、どこに焦点を合わせて教えるべきかの判断ができます。
こうした判断ができれば、1つの読解文を効率的に読むことができ、余計なところで時間を取ることなく授業が進められます。しかし、新人の先生は読解文を見ても、この文章を読んで何を教えればいいのかの判断ができません。
どちらかというと、新人の先生は読解文全体の話の流れを説明しようとするかもしれません。しかし、話の流れをつかむためには、1つ1つの文の意味を正しく解釈できていなければなりません。そして、1つ1つの文を正しく解釈するためには、当然、その文の中の単語の意味や、文の中での単語と単語の文法的な関係を理解する必要があります。こういう理解のための作業を行うには、やはり学生が初級から積み重ねてきた文法的知識を教える側も理解していなければできないということです。
実際のところ、中級では学生がある程度日本語が理解できるようになっているので、新人の先生でも「それなりに」授業が成立してしまうこともあるでしょう。しかし、こういう状態で中級の授業を続けていても、基礎となる初級を経験していなければ、本当の意味での実力はつきません。真の実力をつけるためには、初級を初めから教える経験をすることが不可欠です。
