海外で日本語を教える場合、話を単純化すれば、
○学生の日本語が上達するかどうかは、ほとんど教師によって決まる。
という話をしましたが、これは2つの設定をしていました。1つは、「学生が教室以外で日本語に触れることができない」という状況です。日本では教室外でも日本語を聞いたり、日本人と会話をしたりする機会があります。夏休みが終わって新学期が始まったら、学生の日本語がうまくなっていたということもよくあります。休みの間に日本語で会話する機会が多かったのでしょう。
しかし、教室外で会話する機会がないという状況の中では、教室で全ての練習を行わないといけません。ですから、教師はできるだけ学生に会話をさせるように練習を工夫しないといけなくなります。
もう1つの設定は、「1つのクラスを一人で教える」という状況です。日本の学校ではチームティーチングで、1つのクラスを複数の教師が教える場合が多いのですが、海外で、1つのクラスを単独の先生が教えるという場合は、やはりその教師に全てがかかってきます。学校に先生が一人しかいないのでやむを得ず、という場合もあれば、その学校の方針で、1つのクラスを一人の教師が教える、チームティーチングはしない、というシステムの場合もあるでしょう。
一人で教える場合は、カリキュラムのどの部分であっても同じ一人の教師が教えます。ですから、多くの学生が同じように間違えたり、ある部分の理解が足りなかったりすれば、それがどこであってもその先生の責任になります。
チームティーチングの場合は、クラスのカリキュラムの一部だけを担当することになるので、その学生の日本語の習得に関して一人が全ての責任を持つということにはなりません。こう比較してみると、一人で教えるほうが責任が重くて大変だということがわかります(もちろん、チームティーチングでもそれぞれの先生が責任を持って教えることには変わりありませんが)。
しかし、一人で教えるのが責任が重くて大変であっても、教師としては逆に非常にやりがいがあるというのも確かです。なぜかというと、自分が教えたことの結果が全て自分で確認できるからです。日々の学生の進歩、日本語の上達は全て自分が教えた成果です。他の誰の成果でもありません。自分が教えた結果がそのまま学生の日本語として表れるのです。うまく教えれば、毎回学生の日本語が進歩していく様子が見てとれるでしょう。教えるのが好きな人にとって、これほどやりがいのあるものはありません。
こういう教える喜びというのは、海外ならではのもので、チームティーチングが多く、教室外でも学生の日本語が進歩する日本では、なかなか味わえないものです。
